軽速山歩

登山者が実践するファスト・パッキングスタイルへの道

そろそろ、今夏の登山計画の話をしよう

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批判を恐れずに書きたいことを書いてみる。

 

以前、緊急事態宣言が出されて、不要不急の外出の自粛が本格化し、登山自粛の声が高まったとき、別のブログでこのような記事を書いた。

「登山自粛」について。 : 絶対にマネをしてはいけない山歩き。

 

僕のこの新型コロナ流行下での行動指針は二つ。ひとつは自らと家族が感染しない、他人に感染させないこと。ふたつ目は社会から逸脱した行為により世間(社会)からの攻撃対象にならないこと。これのみである。

 

感染するしないについては、僕は当初から楽観的に見ている。日本は中国とかなり人の交流がありながらも満員電車でもクラスターは発生せず、死者数も先進国でダントツに低いことについて僕は注目していた。

 

まず、ウイルスの感染力について、満員電車であっても各駅停車のように一定間隔で扉の開け閉めがあることで換気がなされていることで予防できるのではないか。発声が無ければ飛沫は飛ばず、感染には至らない程度の感染力なのではないかという個人的な予想があった。最近言われるランニングの感染についても、たとえマスクをしてなくてもすれ違い様のひと呼吸で感染するわけがない。

 

また、欧米であれほど猛威を振るったにもにもか関わらず日本では圧倒的に死者が少ないことについて、欧米では「キス、ハグ、握手」文化があることや、手洗い文化が無いことが一つの原因だと思っている。もちろん、欧米の新型コロナは日本で流行したものより強毒なものという話があるが、それを考慮しても差がありすぎる。

 

それらを前提として、個人の感染予防としては毎年のインフルエンザ対策程度が出来ていれば十分と考えた。

 

実は僕は生まれてこのかた、インフルエンザにかかったことが無い。何故なのか、今回のコロナ騒動で分かった気がする。人混みがとにかく嫌いなのだ。今回クラスターが頻発したライブハウスをはじめとする密閉空間に人がたくさんいて、発声の多い場所、とにかく絶対に行きたいないくらい僕は苦手なのである。

 

前置きが長くなったが、そういう僕が好きな山はクラスター発生とは真逆の場所だと思っている。

 

つまり、山へ行くこと自体は何の問題も無い。

 

では何故僕が登山をやめていたかというと、単に外出と考えるとその過程で感染リスクがある、また万が一遭難して医療機関のお世話になったときも感染リスクがある。そして外出行為が社会的に批判を浴び、家族や会社に迷惑をかけるおそれがあるからだ。単純に自分の利害関係を考え、今の社会情勢下で外出することは自分と家族にとって不利な状況(感染以外のリスク含む)となる。それは避けたい。ただそれだけだ。

 

しかし社会情勢が変われば登山行為自体に問題は無いと考えているので、登山者が登山を再開するのは自然な流れである。社会情勢の変化とは最もわかりやすく言えば「緊急事態宣言の解除」である。これが解除されるということは病床圧迫の懸念も解消されているはずだ。


僕は家庭を持ち、子供が生まれてからは山に行く頻度が激減し、山ジャンキーというほどではなくなったが、それでも今まで通りの生活、年に数回の登山は再開するつもり。

 

もちろん、手洗い、マスク等、感染対策はする。でも山は行ける。今までインフルエンザが流行っている時期に人がごった返しているイ○ンモールへ行くことは避けたことはあっても、山を避けたことは無い。

 

緊急事態宣言解除後の必要以上の自粛は思考が停止したくだらない精神論やマナー論であって、個人の心の健康と経済のためにならない。インフルエンザ予防程度の警戒をしつつ、なるべく普通に生活を送ればよい。

 

緊急事態宣言解除の方向が見え始めた今、もっと堂々と今後の山の計画の話をしようではないか。